【問題深堀】村上春樹の雑文集を読んでいて気が付いたこと
いま、村上春樹の雑文集を読んでいる
ビジネス書や自己啓発書やHow to本以外を読むのは久しぶりだ
村上春樹は学生時代良く読んでいたし、大学時代には村上春樹の研究するゼミにも入っていた、フォーラムに足を運んだこともある(そういえばそんなこともしていたな)
ちなみにノーベル文学賞はとらなくたっていいと思っている
大学で小説を勉強していた時代には、村上春樹の風の歌を聴けの冒頭の「完璧な文章などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」という言葉に何度か救われた
しかして村上春樹好きだったはずなのに何故かこの雑文集は読み進めるのに時間がかかっている
学生時代は早いとうわけではないものの1週間に単行本2~3冊は普通に読んでいた
それが今や読み始めてから1週間以上たっているのに1/3も読み終えていない
なぜか、、、それについて少し考えてみた
◆集中力が無くなっている
それはまさしくそうだと思う、年々それは感じている
特に活字から離れて久しいし、IT系の会社に勤めるようになってからその傾向が顕著だと思う
しかしただそれだけではないと思われる
◆本(題材)に興味がない
これも否定できない、知っているものもあるし、マニアックな雑誌で語ったものや、他の作者の著作のあとがきで書いたものもあるのである程度事前知識がないと理解できないものもある
しかし、それも表層的というか真の問題に行きついていないように思う
それではこの問題を解決することができない
◆読みながら別のことを考えている
集中力のなさとともにこれがあると思われる
読みながらも別のことに意識を絡めとられている
それは仕事のことだったり、どうでもいいプライベートなことだったり、
色々と頭の中を大海を泳ぐトビウオのように通り過ぎていく
ただこれも原因の一角ではあるんだけどまだ深堀が足りていないように思う
他の本を読んでいてもそれはあるのだけれど、
この村上春樹の雑文集に限ってはもっとぬるっとした感情が関わっている
なによりもこの本を読んでいてもなにか「いい気持ち」にならない
昔はどんな本でも読んでいるときに両手に残る感覚は好奇心に溢れていたのに、
そういった類のものがどこにも残ることがない
それはなぜなのか、別のことを考えているというのは一種の逃避なんだと思う
では自分は何から逃避しているのか、、、
◆ふと昔の友人を思い出す
大学時代の友人で藤本さんという人がいた
とても頭のいい人で、小説を書かせたら学内では敵なしの人だった
個人的には自分が書いた小説の添削をしてもらったこともあった
ある人がなにかで
「人には2種類いて、物語を愛する人間と物語に愛された人間がいる」
というようなことを言っていた
藤本さんは誰もが認める後者であった、そして僕を含め大多数の人は前者であった
自分の才能の無さ認めることは当時としてはとても苦労していたと思う
恥ずかしながらどこかで自分は特別な存在と思いたい中二病的な精神が宿っていたw
恐らくそのあたりに問題の真の原因がありそうな気がする
解決できるかどうかは分からないが、そこに踏み込んでいかないとどうにもこうにも先に進むことができない
先に進むためにもう少し本を読み進めて、この問題のヒントとなりそうな記憶や感情を呼び起こしてみるとしよう
案外そんなことをしているうちに読み終わってしまうかもしれないし
つづく(かも)