いろんな人たちの価値観を受け入れないとPJはやっていけないという話
先日プランナー二人が言い争いをしておりました。
PJの島から近いオープンなMTGスペースで話し合いをしていたんですが、あまりにも声が大きいのでしょうがないので注意をしに行きました。
「話し合いはいいけど他の人の迷惑になるので冷静に話し合ってくれ」とそれだけ言って立ち去るつもりでした。二人ともいい大人なのでまあ落としどころは見つけられるだろうと。
しかしながら予想に反して
「ちょっと聞いてもらっていいですか」と呼び止められることに。
とりあえず二人の話に耳を傾けることに、たいていこういう時は言いたいことを言い終わったらクロージングに取り掛かれば大抵どうにかなるもの、と高を括っていました。
10分経っても、20分経っても双方話が終わらない、
そのうちその会議室を予約している人たちが来てしまった。
しょうがないので私は二人とホワイトボードを持って、非常階段の踊り場に連れて行きました。
とりあえず場所移動をしたので私が質問しつつホワイトボードに状況を整理しつつ書き込んでいきました。
発端は本当に些末なことでした。ここでは書きませんが、
どどどどどどどどどーでもいいわーーーー!!!!
と叫びたくなる思いを必死にこらえながら二人の話に耳を傾けました。
しかしながら話を聞いていくうちに分かったのは、発端は発端でしかなく、本当の原因はもっと根深く、時間を巻き戻して話さないとわだかまりは解けないと思いました。
要するに普段からのコミュニケーションがすでに成り立っていなかったようです。
正直うちのPJは他にも大きな問題を抱えていて個人間のコミュニケーションにまで目が行き届いていませんでした。リスク管理がしっかりしないとなと個人的に反省。
さらに話しているうち一方が(仮称:A)激昂し、もう一人に(仮称:B)に殴りかかりそうになったので、必死に抑えてAを非常階段に押しやって二人の距離を離しました。
ちなみに殴りかかりそうになった理由は「Bの態度が気に食わない、馬鹿にされているようだ」とのことでした。
Aはかなり精神が高ぶっていてどうにもこうにも、これは場当たり的な対応では事態を収拾できないと思ったので、長期戦を覚悟して私も話を聞きました。
話はAの過去の経歴の話になりました。なんでも
「自分が元いた会社ではくん、やちゃんで人の名前を呼ぶのは非常識で、くん付けで呼ばれるというのは相手を馬鹿にしている」と言うのです。そしてBは初対面のときからくん付けで呼んできてずっと不快だったとのこと。
これには私も驚きました。まさかくん付けで呼ばれることを不快に思う人がいるということもそうですが、AはBよりも4歳も年下でこの会社にもAはBよりも後に入ったのに自分が後輩扱いされることをよしとしないプライドの高さに驚きました。
どうやら彼は人間関係の中で上下をつけたがる性格で、役職などの肩書に固執するタイプの人間のようです。
Aはそれ以外にもBの常識の無さをさまざまなシュチュエーションで訴え、私に同意を求めてきました。
話を聞いた限りではかなり彼の価値観で物事を決めつけているところが感じられたので、安易に同意はせず、「なるほどなるほどつまりAさんは○○という気持ちになったんですね」とヒアリング手法の置き換えを使って、相手に理解があることだけを示し、信頼を得ました。
そんなやりとりを30分ほどしてAも大分落ち着いてきたので私の思いを話しました
「まずくんやちゃんで呼ぶのは相手を馬鹿にしているわけではなく、親しみを込めて呼んでいるということ、Aにそのつもりはないかもしれないけれど、Bも含めてほとんどの人が親しくなりたいという気持ちで使っている」
「Aさんの考え方や価値観は理解したけれど、このPJには30人以上の人か関わっていていろんな考え方、価値観、バックボーンを持った人たちがいる、その中で上手くやっていくためにもここはAさんが大人になって、それらを受け入れる努力はして欲しい、私もそうできるように努力します」
「その中でどうしても嫌だと思うこと、ストレスと感じることはあると思うので、それは感情的にならず冷静に論理的に話し合って解決してほしい、直接言いづらいこともあると思うので」
改めてこうやって書いてみるとなんか自分のやってることがカウンセリングなのか学校の先生なのかなんなのか良く分からなくなってきたww
ちなみに最後はAは「本当は仲良くしたいんです、もっとコミュニケーションとってやっていきたいんです」と説に言っていました。
恐らく自尊心の高さと仲良くなりたいという欲求とがせめぎ合って、その感情をうまく制御できていないんだろうなと思いました。
一旦Aが落ち着いたので、今度はBと二人で話すことになりました。
Bに関してはこういう状況に私を巻き込んだことを心底悪いと思っているようで、何度も頭を下げてきました。
彼も彼でAがとっつきにくい人間だからコミュニケーションを疎かにしてしまったことに原因があると分かっているようで、申し訳なさそうにしていました。
なので
「今回はBさんが大人になって、Aさんの要求を一旦受け入れてみてはどうでしょう?Aも基本的には仲良くしたいようなので不平等なことは言わないと思いますよ」
と言いました。
Bも了承してくれたので、再度AとBと私で話し合うことになりました。
Aの要望は特に難しいことはなく、要は
「ルールなんかでしばらないでコミュニケーションをとってやっていきましょう」
ということだった。だったらもっと早くにその話してよwww
Bも特に反対することもないのでこれで一見落着かと思いました、、、
席を立とうとするとAが突然「あと呼び方の話はどうなったんですか!!」と言い出しました。
なるほどいい感じで終わったかと思ったのですが、やはりAにとってはそっちのほうが問題のようで、仲良くなりたい欲求の問題は解決したので、こんどは自尊心の問題について話し合わなければならなくなりました。
それについてもBは冷静にすべて受け入れてこれからは「さん」付けで呼ぶことを約束していました。
それでもAは何か言いそうだったので、そこは私が遮って
「今回はBさんがAさんの要求を受け入れでくれたんだから、これからはAさんもBさんのお願いには耳を傾けるように努力してください、それは他のメンバーに対しても同じですよ」
「くんやちゃんをつけて呼ぶのは親しみを込めているのであって下に見ているわけではないので、それは分かってください」
と言いました。
するとAは
「なぜ自分ばかり相手の価値観を裏読みしなければいけないんだ」
(おそらく自分ばかり気を使ってフェアーじゃないと言いたい)と言ったので
私は改めて
「それはAさんにとって残念かもしれないが、くんやちゃんで呼ぶ文化がこの会社、チームでは一般的でそれをおかしいことだと思っていた人が大多数、しかしなので合わせる努力はして欲しい、けれど本当に嫌なことはきちんと伝えて解決できるようにしましょう」
と念押ししました。
Aも納得したようで席に戻っていきました。。。
ここまで約二時間、金曜日の大事な朝の二時間を費やしたorz
ただこういった話をメンバーとする機会もなかなかないので
これはこれで良かったのかなと、
他のメンバーも問題意識を持ってくれたようなのでこれでチームの中で自浄作用が生まれてくれればと思います。
あとこれはAに言おうか言うまいか悩んで言わなかったのですが
チームの中では上下関係はないと私は思っています、
指示命令系統はあったとしてもディレクターだから偉い、プロデューサだから偉い、チーフだから偉いなんてことは絶対にないと思っています。
あるとすればそれはチームに一番貢献している人が一番偉いと思っています。
ただそれを決めるのはとても難しく人によって判断が異なると思います。
以上
【問題深堀】村上春樹の雑文集を読んでいて気が付いたこと
いま、村上春樹の雑文集を読んでいる
ビジネス書や自己啓発書やHow to本以外を読むのは久しぶりだ
村上春樹は学生時代良く読んでいたし、大学時代には村上春樹の研究するゼミにも入っていた、フォーラムに足を運んだこともある(そういえばそんなこともしていたな)
ちなみにノーベル文学賞はとらなくたっていいと思っている
大学で小説を勉強していた時代には、村上春樹の風の歌を聴けの冒頭の「完璧な文章などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」という言葉に何度か救われた
しかして村上春樹好きだったはずなのに何故かこの雑文集は読み進めるのに時間がかかっている
学生時代は早いとうわけではないものの1週間に単行本2~3冊は普通に読んでいた
それが今や読み始めてから1週間以上たっているのに1/3も読み終えていない
なぜか、、、それについて少し考えてみた
◆集中力が無くなっている
それはまさしくそうだと思う、年々それは感じている
特に活字から離れて久しいし、IT系の会社に勤めるようになってからその傾向が顕著だと思う
しかしただそれだけではないと思われる
◆本(題材)に興味がない
これも否定できない、知っているものもあるし、マニアックな雑誌で語ったものや、他の作者の著作のあとがきで書いたものもあるのである程度事前知識がないと理解できないものもある
しかし、それも表層的というか真の問題に行きついていないように思う
それではこの問題を解決することができない
◆読みながら別のことを考えている
集中力のなさとともにこれがあると思われる
読みながらも別のことに意識を絡めとられている
それは仕事のことだったり、どうでもいいプライベートなことだったり、
色々と頭の中を大海を泳ぐトビウオのように通り過ぎていく
ただこれも原因の一角ではあるんだけどまだ深堀が足りていないように思う
他の本を読んでいてもそれはあるのだけれど、
この村上春樹の雑文集に限ってはもっとぬるっとした感情が関わっている
なによりもこの本を読んでいてもなにか「いい気持ち」にならない
昔はどんな本でも読んでいるときに両手に残る感覚は好奇心に溢れていたのに、
そういった類のものがどこにも残ることがない
それはなぜなのか、別のことを考えているというのは一種の逃避なんだと思う
では自分は何から逃避しているのか、、、
◆ふと昔の友人を思い出す
大学時代の友人で藤本さんという人がいた
とても頭のいい人で、小説を書かせたら学内では敵なしの人だった
個人的には自分が書いた小説の添削をしてもらったこともあった
ある人がなにかで
「人には2種類いて、物語を愛する人間と物語に愛された人間がいる」
というようなことを言っていた
藤本さんは誰もが認める後者であった、そして僕を含め大多数の人は前者であった
自分の才能の無さ認めることは当時としてはとても苦労していたと思う
恥ずかしながらどこかで自分は特別な存在と思いたい中二病的な精神が宿っていたw
恐らくそのあたりに問題の真の原因がありそうな気がする
解決できるかどうかは分からないが、そこに踏み込んでいかないとどうにもこうにも先に進むことができない
先に進むためにもう少し本を読み進めて、この問題のヒントとなりそうな記憶や感情を呼び起こしてみるとしよう
案外そんなことをしているうちに読み終わってしまうかもしれないし
つづく(かも)
迷った時の判断軸の話
常にユーザーに対して誠実でありたいと思ってます
誠実とはなんぞやと言われれば、それは約束を守ることだと思います
それは期限を守ることや期待された面白さに応えることだと思ってます
それができないのであれば、そもそも約束してはいけないと心から思ってます
なにか悩んでいるときに、
常にこの判断軸を頭の中に置いています
自分にとってどれくらい利益があるか?
モチベーションがあがるのか?
これやったら評価されるかな?
と言うことも考えます。
別問題として経営者視点での考えもあります。
(経営者じゃないけど)
でもやはり最後は自分がユーザーに対してどれだけ誠実であるのかというところに帰結します
周りから嫌われようと、疎まれようと、蔑まれようと、それだけは自分のなかで持っていたい絶対の評価軸です
なぜならそれさえ持っていれば絶対に自分の価値を見失うことがないからです
何年経っても毎日の帰りの電車で
「今日もユーザーに誠実でいられた」と心安らかな気持ちでいられるような自分でありたいと思います
【セミナー】「ゲームメカニクスと課金ノウハウを基礎から学び直すセミナー」に行ってきた
これに行ってきた。今話題の岩崎さんの話は面白かった、がしかし話が長すぎる
とりあえず大事だと思ったことを列挙
10月度俺的目から鱗記事
この記事を読んで、いま自分のチームが直面している問題そのものが記載されていて目から鱗がフィーバー状態でした
記事ではコストという言い方をされていますが、
私はこれは「情熱」とも言えるのかなと思います。
チームメンバーにはそれぞれ役割があるので労働時間を均一にすることはできないし
負荷もまちまちですが、少なくとも自分は周りから温度感が低いと思われないように最大限注意していますし、それができないようなプロジェクトならそもそもアサインを断ると思います。
会社の人にバレたら怒られると思いますが、私は結構このために残業したりしています。用もないのに残業しているというわけではありませんが、残業してまでやらなくてもいいこともやっています。
プロジェクトマネージャーという職業上基本的に誰からに仕事を振られることはあまりないので、仕事は自分で作りますし、調整できます。
そしてなにより深い時間のチームの動きを理解していないと、チーム全体を把握することはできません。(と自分では思っています)
深夜申請していないのに深夜作業していたり、逆に残業時間に無駄話ばかりして非効率な人もいたりします。
工数集計の数字だけでは見えてこない部分が分かるようになります。
PMとしては
メンバーひとりひとりのプロジェクトに対しての熱量は常に把握する必要があると思っています。
なおかつ
- 人の熱量を気にしやすい人がいるのか
- どんなところで熱量を判断しているのか
- 熱量を高くない原因がどこにあるのか
かなと
とまあそんなことも書きましたが、一番大事なのは自分が一番プロジェクトに対して熱量高いことを周囲に魅せることから始めないとどうにもならないので、まずはそこをやり続けるのが大事かと。